私は会う人度々考えすぎだと言われる。
しかし、これは私にとっては当たり前の考えでしかない。
環境要因なのか、生まれつきのものなのかはわからないが、
身内には自分しか同じような人がいないことだけは間違いない。
だからこそ、この”考えすぎ”というたった四文字の単語は、私にとっては「まぁ、私には関係ないけど!」と突き飛ばされているような気しかしないのだ。
誰もが自分のことで手一杯だからこそ仕方はないけど、自分はコミュ障で人が信用できないからこの人になら言ってもいいかな?と思ってもこの一言で、この人やっぱやめよう。と思う。
ごめん、悲しい気持ちになる。怖いんだ。
そうして、人間不信をさらに強めて、信頼できる人いないの悪循環。
自業自得と言われたら確かにそうだ。
思ってること言ったら殺される!とか、嫌われちゃうかな。これが好きとか言ったら嫌がらせされる!こう言ったら相手の気分を損ねないよね?
みたいな気持ちは常にある。
これに関しては、自作小説を書いていた人に向かって、「こんなもの何になるの?wアホくさw」と馬鹿にして泣かせた人の話を小さい頃に聞いたことがある。泣かせた側には全く悪気はなかった。
初めて聞いた時から私は泣く側だと薄々察していたがどうやらそうだったみたい。
当時からその話を根に持っている為、思ってること言ったら殺される!だの自分の行動にもっと自信を持とうだのそういうのに悩むことが”考えすぎ”には絶対当てはまらない。
実際に勇気を出して何かを言ったら、大体がやっぱり馬鹿にされてもはやテンプレート。何度目だろうときついものがあるのだ。
そして私は鈍臭いと言われ続けてきている。だからこうして人と関わりを持つことができない。鈍臭い人間は人と関わる資格なんてない。人と違う人間に人権はない。
私って生きててもしょうがないなぁ。どうしてもっと生きやすくなるんだろう。
考えすぎってなんだろう。私なりに標準に生きられるレベルで頑張っているつもりだけど。
だったら考えるのをやめればいい?
できないから困っているんだよ。できなかったら書かんわ。
思うことは構わない。だからどうか口にはしないでほしい。