タイトルの通りだ。
私は高校生の頃からメンタルを崩して不登校、
大学1年の時に双極性障害が付いた筋金入りの精神崩壊者である。それと同時に約10年を棒に振った。
卒業間際に寛解期が来た。減薬した。
上手く行っている。
しかし、将来の不安が付きまとう。
いくら療養優先でも新卒をドブに捨てることは大きい。就活という意味ではたまに説明会を聞いても何も惹かれるものがなかった。
ダサい大人がセンスのないダサいスライドを使って長々と話しているようにしか見えなかった。そこにシルエットが最悪なスーツを着ることは侮辱にも等しい。画像編集の基本であるPhotoshopすら使わないようなスタジオで就活の撮影をしたことも懐かしい。
その後行った風俗のパネル撮影の方が遥かにしっかりしていたことを今でも鮮明に覚えている。
何処もここだと刺さるものがなかった。
どれも在り来りでつまらないことしか言わない。その癖障害者は身体しか取る気がないのだろうな。これがテンプレートだ。
だからといってやりたいことが全く分からないのだ。お金を払って占いに行くと美大に行った事を褒められた。痛みがわかる人だから他の人も癒せる人になれと言われた。デザインで学んだ企画力を活かして公務員になる、やめろ。そうか。
のんにも癒せる人になって欲しいと言われた。
残念ながら私は優しい雰囲気の絵を描くことは出来ない。そもそも、授業でデザインを勉強したが向いていないということはすぐに分かった。というかデザインは顧客と擦り合わせて成立する商売のため仮に企画力があるから何とかなるものでは無い。これわからない人本当に多いけどね……。
私はやりたい事やこれだと分かったら即行動に移す。良くも悪くもADHDの衝動性が強い所が思い切り出ているとも言える。興味が湧かないと何もやらない。
このブログだって4人を1番知らないため楔のMVを見てこんなに田口が神秘的になっていたとは思わんかった!と言って出戻っていたらいつの間にかできたブログである。
その直後に逮捕をされて過去一の鬱になって診断がついて支離滅裂の中生き方を模索するものになってしまったが。
大体これだ!これは凄い!ってものがあったらなんか自然に行動を起こす生き物だ。
のんちゃんの光るパジャマもそう。というか、のんちゃんのぬいぐるみも使命感に駆られてつくったところが大きい。
本当にこのビビっと来る物が何も無いのだ。
例えば身の回りの誰かが困っているから、支える為に経済力を付けたい、物事における動機というものはこの様な事でもいい。
それすら何一つない。
ちなみに、人生最大の鬱の時はお風呂も食事も外出もままならなかったが気が狂った様にLIPSと誓心を描きまくっていた。
いつの間にかクリスタを購入して最終的にはセンターパートの霊物と龍が半身に付いた半人という形だけ残して顔も原型を留めなくなり知らない人に苦言を出されたこともある。
絵を描くことは確かに好きだがそれで何かしようとは思えないしできないことはよく知っている。まず、女性向け特有の絵柄もラノベ絵も描けないしそもそもキラキラした目が実は控えめな表現で滅茶苦茶苦手なのだ。厚塗りが出来ないこともないがあまり描いていて面白くない。
そもそも絵だけじゃつまらない、
そこに何かしらの言葉や文章や話がないと
全くと言って面白くない。
綺麗なだけの物なら他の人ができるし。
例えばこのヤマンバギャルの子がいる。
それで終わりじゃつまらない。
こう見えても高校生で学校が終わってから着替えてパラパラを踊りに行く、DOMINOのマッチョダックがなんだかんだ言って好き。春から高3で最近ギャルサーでの遊びがマンネリ化しつつある為受験勉強を始めようとしている……何かがあるとストーリー性が生まれるよねって話である。
だいたいこういう物は
出来てから生まれるのだが……。
というかアップするにしても知名度も技量も無いため誰かに見てもらう所に辿り着かないのも事実だ。上げたところで誰も興味を持たないだろう。
あの頃は狂ったように描いていたとしても
もう絵はあまり描きたくない。
ぬい服は別として服も作りたくない。
ミシンも触りたくない。
何かの意味を込めても、結局ただの服や絵であると捉える人が多い様ではなんの価値もない気がしてきた。というか今の日本なら特に服なんてGUでいい、安さとコスパを優先する人の方が多いため癒しでも何でも物語を表現するのに適した媒体では無いのかもしれないと悟った。
そして、表現したい事がもう分からなくなってしまった。
霧が掛かったように何がしたいのか全く見えなくて作りたくないではなく作れないの方がニュアンス的には近いかもしれない。
確かに茶髪のセンターパートの霊体が動いていることを考えるととても楽しいがこれを女の子にしたり衣装をキキララみたいなシンプルな白い服にした瞬間景色が暗くなる。
これでは無いという気持ちに早変わりする。
結局何がやりたいか、のんちゃん達の言っている言葉の答えは分からないままだ。
精神疾患は治りかけの時に自殺する人が多いが、治ってすぐにいきなり今後を考えろと言われても難しい。何なら普通の人並みに生きているレベルに回復した人はだいたいフリーランスで成功した人かダサめの意識高い系かの気がするのだが。気のせいか。
ゆっくり考えるにしても焦りは生まれる。
正直障害者になっただけでこんなに生きにくいとは一体全体なんなんだ。
本当は文章も書きたくないが文章を書きたくないを書きたいのもどうなのだろうか