くるくるパァ

LIPSの田口くんがすごく好きな自認女児 ネタにマジレスだけはやめてください

手放す勇気

お久しぶりです。非常に気分が優れませんでした。

今も決して良いとはいえません。学業側に支障が出始めてバイトもやめました。

 

それなのに、鷹の祭典福岡の飛行機やらホテルやらを

調子がまだいい時に取ったもんで、行けるか心配。それ以前に開催されるのかも怪しいが...。

 

さてさて。本題。

 

ふと考えた。人生の半分以上好きだったものを手放すって

どういうことなのだろう。人生の半分以上は、なかなかに難しいと思うのだ。

恐らく、ここまで長いとイコール自分の要素を形成する物と言っても過言じゃなさそう。

 

現に、まだ半数ではないがもうそろそろ好きになって10年経つホークスだって、

今更球団を変えることは何だか難しいのだ。

 

そして、IDの最後に50を入れるのが当たり前になっている為、

50をつけることを辞めることも、何ならば辞める自分すらも全く想像する事ができない。

 

そして、自担ですらも手放しているといえば嘘になる。

箱推しではあるが、好きだったことは誇りに思っている節があることに最近気づいた。

だからこのブログがある。

 

だから衣装に似たアイテムを探したり、

素肌美人の方が大事じゃね?という当たり前で忘れがちなことに気づけたのだろう。

 

しかしアームカバーが一部で火をつけているようで...。

一昔前のゴスパン (デスノミサミサしゅごキャラのあむちゃん )系が

リバイバルしているが、SIX SENCESの女王の時

そういやアームカバー片手にしてたことを思い出した。おまけに下のパンツは赤チェック。

 

10曲メドレーで同衣装が使用された際には、髪色が黒髪センターショートウルフで

色白の強調含め全体に病みっぽさが出て、それすらも愛おしくなるほど完成度が高かった。

 

最高すぎやろ。

 

こんな話している時点で、現在の地雷・ピープス・韓国ストリートは最高に目の保養なのだがマジで好きな物がこの時代から変わらないことや、好きな物が”こう”だからこそ

 

SIX SENS等はあとから知ったところもあるが自ずとストレートに刺さるように好きになったんだろうなと改めて実感するのだ。

 

手放すってどういうことなのだろう。考えてもキリが出ない。

自分自身の何かが欠けるような感覚がする。せめて自分の中では思っていたい物だ。

 

でも、どうしようも無い物は4月に入ってから急に自然と手放す事ができた。

 

理由は分からない。4月くらいに新学期頑張ろうと行った北海道神宮の鳥居が

第二鳥居で、意味を調べたらたまたま縁切りだったから切ってくれたのだろうか。

 

...だといいが。

カラスが大嫌いなのにその日カラスがやけにうるさく、入るのにすら苦戦したが試練なのか邪魔でもしてるのか

 

必ずしもが縁切神社に行くわけでは無い。私だって本当のたまたまでしかない。

 

 

考えてもキリがなく無限に続くしオチも何にも無い

ぼんやりと思いついた事だ。